2015年
著者:橋爪 伸子
所属:京都府立大学 京都和食文化研究センター

  • 社会文化
  • 食文化・食生活

はじめに

 本研究は、日本で本格的な乳食文化の導入期とされる明治期を中心に、京都の菓子屋の乳に対する対応・動向の分析を通して、乳の受容における菓子の意義を明らかにしようとするものである。なお、本稿で「乳」とは、牛を主とする家畜の乳汁及びそれを原料とする乳製品を含む総称とする。また冊子状の史料名は刊本、写本の区別なく『』を付す。
  菓子は栄養摂取を主目的とする日常の食体系からは独立した嗜好品的な位置づけにあり、新たな異文化の導入段階では受容の媒体となる事例も知られる。例えば鶏卵や砂糖は南蛮菓子を通して食習慣が始まり、パンはあんパンを通して後に日本独自のパン食文化へと展開した。乳食文化の受容においてもこれに相通ずる経緯が考えられる。しかしながら従来の研究では、殖産興業政策によって導入され、食生活の西洋化に伴い普及したと概説されるものの、普及の具体的な経緯や諸地域における実態は検証されていない。
 本研究で主要な調査地とする京都は、近世には製菓業の先進地で、現代も近世以来の菓子屋に加え、明治・大正期に創業した洋菓子屋が存続する。そうした菓子屋では近代初期から国内外の博覧会に積極的に出品したり、菓子に洋の要素を採用する等、近代の新しい文化を受け入れる姿勢が認められる。また京都府では、首都機能の東京移転をきっかけに経済的な退廃が進むなか、積極的に勧業政策を展開したとされ、特に牧畜については全国的にも早く、明治5年に勧業課が牧畜場を開設し、乳牛の飼養や乳製品の製造を行っており、その食文化についても先進的な受容が考えられる。
 そこで本研究では、乳食文化の導入期における京都の菓子屋の乳への対応・認識を、菓子製造の動向から探り、乳を材料とする菓子が媒体となって乳食文化の受容を導き、その方向性へも影響を及ぼしたことを検証したい。また菓子のうち特に南蛮菓子の、近代における西洋菓子の受容の影響についてもあわせて考えてみたい。まず乳及び乳を使用する菓子の全国的な概況を、明治政府が開催した内国勧業博覧会(以下、内国博)の記録を中心に分析する。続いて京都における乳及び乳を使用する菓子の実態を、同地における乳の生産加工販売業(以下、乳業)、及び製菓業に関する史料調査と、生産・製造者への聴取調査により分析する。さらに、南蛮菓子の伝来地である長崎と、近代における乳製造の先進地の事例として北海道の菓子作りの状況をみる。
 関連する先行研究としては、近代日本の乳食文化受容については、東四柳祥子が明治大正期の出版物から乳に対する意識の変遷を検討し、当初は「母乳の代用品や病餌食」で、大正期以降「家庭の健康食品」として見直され、「家庭生活」へ導入されていく過程を明らかにしている。また乳の生産・流通については、斎藤功、加瀬和俊、矢澤好幸が、戦前期まで最大の生産・消費地であった東京の搾乳業者の動向を中心に分析した。これらの研究は、乳のなかでも特に飲用牛乳の受容に注目し、また主として東京を対象地とするものであり、それ以外の諸地域における多様な乳の具体的な需給の実態や、その背景にある異文化への価値観に注目するものは少ない。
※平成27年度「乳の社会文化」学術研究

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2018年8月28日