2013年
著者:佐藤奨平
所属:財団法人 農政調査委員会

  • 社会文化
  • 歴史

はじめに

日本の酪農乳業史を振り返ると、近代化の端緒をなすのは、練乳製造業の創業期である。安房地域では江戸時代に八代将軍徳川吉宗の「享保の改革」の一環として嶺岡牧が再興され、そこで軍馬や白牛の飼育が積極的に行われた。吉宗は、嶺岡牧の白牛の乳から白牛酪という薬餌を作らせ、将軍家などに献上させた。十一代将軍徳川家斉が書かせた桃井寅(1792)『白牛酪考』によれば、砂糖を入れて煮詰めて作られた白牛酪には、疲労回復、解熱などの効果があったとされる。このような嶺岡牧での白牛酪作りこそが日本酪農の発祥であるとされ、現在嶺岡牧は千葉県史跡「日本酪農発祥之地」に指定されている。
安房地域における練乳製造業の端緒は、1893(明治26)年に根岸新三郎が創業した安房煉乳所である。その後、多くの練乳製造業が乱立し興亡を繰り返した。明治・大正期には、磯貝煉乳所や玉井煉乳所など小資本経営による約40 の練乳製造業が安房地域において創業した。これらの中小企業のなかから磯貝煉乳所、玉井煉乳所、平群製酪所、滝田製酪所が合併し、1916(大正3)年には房総煉乳株式会社が設立された。この房総煉乳は現在の株式会社明治(旧明治製菓株式会社・明治乳業株式会社)、さらに日本煉乳株式会社は現在の森永製菓株式会社・森永乳業株式会社の源流をそれぞれなすものである。しかも日本煉乳と房総煉乳は原料乳をめぐって激しい競争関係にあり、そうした経営環境にあって、安房地域の中小練乳企業は房総煉乳等の傘下に統合されていった。すなわち安房地域は、二大製乳製菓企業「明治・森永」の起業地であり、日本の酪農乳業の近代化・規模拡大を支えた重要な地域であるということができる。
本研究は、安房地域を中心として、明治・大正期の練乳製造業の経営行動の実態を明らかにすることを目的とし、とくに企業者の戦略的意思決定・行動に注目して分析する。その際には、主として、ビジネスアーカイブズ調査、国立国会図書館や千葉県酪農のさと資料館での史資料蒐集調査、安房地域の現地調査による成果を踏まえる。

書籍ページURL
https://www.j-milk.jp/report/paper/alliance/berohe000000jgqy.html

2015年9月21日