2013年
著者:矢澤好幸
所属:日本酪農乳業史研究会

  • 社会文化
  • 歴史

要旨

横浜の外国船に積んでいた乳が出る牛(乳牛)を、安政2 年頃に田辺屋ごと野田国太郎が買い入れ、この外国乳牛を東京に持ち込んだといわれている。そして御厩を別に東京で搾取業を始めたのは明治3 年であった。文明開化に立遅れを一挙に挽回するため、明治政府は泰西農法を導入し搾取業の政策を施した。直訳・模倣的ではあったが東京の搾取業者は紆余曲折しながら実践して発展に尽くした。
特に明治期の搾取業を分類すると、明治維新-明治13 年頃は揺籃期、明治14年-32年頃は勃興期、そして明治34-44年は発展期で日露戦争は終わると衛生概念が生まれ牛乳の価値観を創造した時代であった。しかし、この時代に搾取業者を脅かせたのは牛疫(リンドルペスト)であった。
都心から始まった搾取業は牛乳営業取締規則によって、牛乳を衛生的に配達するため缶から壜の容器に変え、さらに安全を高める殺菌法も導入した。そして生産性の挙げるためホルスタイン種牛を選定し生産効率を高めた。さらに飼養の改善と販売強化をはかるため請売・販売店の分化など流通形態も変えたのである。
牛乳を忌避する時代でもあったので普及啓蒙するため、学術書の発刊及び新聞の発行を通じて牛乳の効用を広く紹介した。搾取業は家業から企業に、即ち乳牛飼育する搾乳業、牛乳の殺菌と壜詰業、さらに牛乳の請売と販売業に分化した。さらに政治・経済・文化の変化に伴い、乳牛を飼育する環境は都心から郊外に移動を余儀なくされ、近代化を目指した明治期の東京の牛乳事業の実態であった。

書籍ページURL
https://www.j-milk.jp/report/paper/alliance/berohe000000jgqy.html
キーワード:
搾取業牛乳宣伝牛の民間業者の輸入ホルスタイン種牛

2015年9月21日