「厚生新編」に記されたチーズについて
2015年
著者:森田由紀、細野明義
所属:森田由紀:ヨーロッパヤクルト(株)、細野明義:公益財団法人日本乳業技術協会(現信州大学名誉教授)
雑誌名・年・巻号頁:酪農乳業史研究、2015年8月、第11号、p29-41
<要約>
本稿は、我が国初の翻訳百科事典「厚生新編」に記されたチーズ「乾酪」に関する記述を翻刻し、その記載事項について、原典と比較分析した論考である。「厚生新編」は、フランス人M. Noel Chomelが著わした家事百科事典Dictionnaire Oeconomique(1709)の蘭訳本Huishoudlijk Woordenboekの邦訳書で、文化八年(1811)の着手以来、幕末までの四半世紀に渡り、蕃書和解御用の事業として翻訳された大著でもある。なお翻訳には、当初馬場佐十郎(貞由)や大槻玄沢が関与。後に宇田川玄真、大槻玄幹、宇田川溶庵、小関三英、湊長安ら一流の蘭学者が関わり、全91巻もの訳稿を完成させた。当時の翻訳事業としては最たるものであったとされている。
本稿の構成は、始めに「厚生新編」の編纂事業とその時代的背景の解説に続き、「厚生新編」における「乾酪」に関する記述箇所の翻刻と注解(「“乾酪「(kaas)”の概要について」「“甘乳乾酪”の作り方」「キモシン(凝乳酵素)の調製法」)、さらに筆者の一人である森田氏が「厚生新編」の原典にあたるHuishoudlijk Woordenboek(アムステルダム大学所蔵)に収録された「kaas」「Lebbe」の項を翻訳し、訳注を加えながら、原典に記された当時のチーズの概要を詳しく解説している。その結果、「厚生新編」におけるHuishoudlijk Woordenboekからの未訳出部分の特定のみならず、曖昧な翻訳となっていた記載事項が明らかとなったほか、原典に書かれているはずのない「本草綱目」や「倭漢三才圖會」といった和漢書からの引用が加えられている点も確認された。
<コメント>
「厚生新編」に記された「乾酪」が、中国の古書に由来する「乾酪」ではなく、日本に紹介された西欧型チーズの嚆矢であったことは言うまでもない。明治期以降、急激な西洋文化受容の流れの中で、西洋の乳製品を紹介する書籍の翻訳・出版も増加する。しかし、これらに先立ち翻訳され、江戸後期の書籍に影響を与えた「厚生新編」は、日本の乳製品発展史を考えるうえで看過できない一書といえるだろう。また貴重な原典にあたり、オランダ語を翻訳された筆者の労も心からねぎらいたい。(東四柳 祥子)