2009年
著者:藤原辰史
所属:京都大学人文科学研究所 准教授
雑誌名・年・巻号頁:富永茂樹編『転回点を求めて - 一九六〇年代の研究』世界思想社2009年79~95頁 (藤原辰史『食べること考えること』共和国2014年に所収)

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

江戸時代まで牛乳は、天皇・貴族や武士など特権階級の飲み物だった。明治維新以降、牛乳は都市の上流・中流階級に普及するが、一般の民衆が牛乳を飲むまでにはいくつもの障壁があった。一般の牛乳飲用を阻害する要因として筆者は、乳用家畜の飼料確保の困難、動物乳を飲むことのタブー視、飲乳時の不快感つまり乳糖不耐の問題などをあげている。これら牛乳の普及を阻む要因が解消され始めたのが1960年代で、この時期以前薬用とみなされてきた牛乳は、欧米の食文化を代表する飲み物として変貌を遂げた。
 牛乳の普及は、第一に日本政府の方針であった。池田勇人内閣の「所得倍増計画」のプロトタイプである経済企画庁の「新長期経済計画」をみると、戦前とは異なり、食生活は動物性食品からタンパク質を多量にとるものへの転換を目指しており、特に牛乳・乳製品は1952年度には1951年度の77%も増加すると見込んでいた。第二に、牛乳の普及を牽引したのは雪印乳業を始めとする企業努力であった。たとえば、筆者は吉田豊『牛乳と日本人』(新版:新宿書房、2000年)および『雪印乳業史』第三巻を参照しつつ、雪印乳業の広告戦略に注目する。この企業のテレビCMの質はとりわけ高く、カンヌ国際広告映画祭で何度も受賞したという。同社は牛乳・アイスクリーム・バター・チーズといったそれぞれの商品を単独で売っていただけではなく、欧米型の生活スタイルを売っており、乳製品を売ることで日本人の食生活のスタイル変更を迫っていたと述べる。政府の酪農振興策に加え、乳業会社の企業努力により、1950~60年代にかけて牛乳の消費は政府の見込みを上回って拡大した。
 そして、本書の指摘するユニークな点は、こうした雪印乳業をはじめとする企業努力により、牛乳を飲むことによって特権階級の一員になることができるという「奇妙な物語」が民衆の潜在意識の中で「ある程度広く共有され」たと指摘する点であろう。民衆の中に、牛乳を飲むことで幸徳天皇以来牛乳を飲んできた天皇と同じ「日本人」の一員になることができるという意識が生まれ、「乳食の「伝統」が創出」されたために、この時期、急速に牛乳飲用が進んだと筆者は述べる。

<コメント>

本章の筆者は、『ナチスのキッチン - 「食べること」の環境史』(水声社、2012年→決定版が2016年に出版)など食生活と思想の変遷を新たな視角でとらえる気鋭の研究者である。この章でも、一般には民衆の所得上昇によって理解されうる第二次世界大戦後の牛乳の急速な普及を、別の観点から論じており興味深い。だが評者は、筆者が指摘する「ほとんど意識されないが潜在的に根付いている」牛乳と天皇の関係は、「ほとんど意識されない」のであれば「潜在的に根付いている」ことは証明しがたいと考えるため、いささか疑問を抱いている。同時期の牛乳の普及については、松尾幹之『ミルクロード—食の昭和史』(日本経済評論社、1986年)もあるので、併せて参照されたい。(尾崎 智子)
 

2016年10月12日