2016年
著者:エイミー・グプティル 1、デニス・コプルトン 2、ベッツィ・ルーカル 3
所属:1 ニューヨーク州立大学社会学准教授, 2 ニューヨーク州立大学社会学准教授, 3 インディアナ大学社会学教授
雑誌名・年・巻号頁:NTT出版、2016年、第6章

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

 本書は、食に関する学問の最新の成果をふまえ、様々なパラドクスから「食」を考えていく。「第1章 食研究の原則とパラドクス/第2章 食とアイデンティティ─包摂と排除/第3章 スペクタクルとしての食─豪華ディナーと過酷な労働/第4章 栄養と健康─体によくてもおいしくない?/第5章 ブランド化とマーケティング─消費者主権と企業の影響力/第6章 工業化される食—安価な食べ物の隠れたコスト/第7章 グローバル・フード─複雑化する食品供給網/第8章 食糧アクセス問題─余剰と不足が同時に起きている/第9章 食と社会変化─新たな価値を求めて」の9章が同書には採録されており、このうち「第6章工業化される食」(原題「Industrialization :The High Cost of Cheap Food」)では、牛乳のアグリフードシステム化がテーマの1つとなっている。
 アグリフードシステムとは、農業(牛乳の場合は酪農業)と食品関連産業が連携し合う巨大な制度やプロセスと定義される(本書235ページ)。第6章では、政府や生産者、消費者など多数の人間や組織によって構築されたシステムが、アメリカでの牛乳飲用の増加を促す一方、この安価で工業的な生産システムが社会的コスト、環境的コストを生み出している現状が、次のようにまとめられている。
 アメリカでは、古くからミルクが飲まれており、牛乳をたくさん飲むことは欧米特有の伝統的な食文化だと思われがちである。だが本章は、アメリカで、現在のように牛乳を牛乳だけで飲む習慣が広がったのは、実は20世紀に入ってからだったとまず指摘する。牛乳飲用が広まったのはこの食品に関するアグリフードシステムが確立する過程で、牛乳が体に良いという評価を得るようになったためだった。汚染されやすく腐りやすかった牛乳は、乳製品産業が確立される過程で科学的な方法で管理された食品へと変わり、品質が保証されるようになった。牛乳はアグリフードシステム化によって、20世紀中に急速に安価で安全な飲み物となったのである。このような、牛乳に関するアグリフードシステムの確立は、経済的法則から生まれたものではなく、個人あるいは組織によって、搾りたての新鮮な牛乳が健康によく、社会的にも道徳的にも人々の生活に欠かせないものと宣伝されたことによると本章は述べる。たとえば、宗教家で社会運動家のロバート・ハートレーは、牛乳を飲むことが聖書で認められた人間の普遍的行為であると主張し(140ページ)、また、諸企業は売り出し当初の牧歌的な環境で女性が乳を搾るイメージの代わりに、工場で男性が搾乳する近代的なイメージを牛乳に付け加えた(141ページ)。こうした個人あるいは組織の努力により、19世紀半ばには1日1人当り6オンス(コップ2/3=これは本書には書いていないが体積にすると177.441ml)しかなかったアメリカ人の牛乳摂取量は、1940年代には1人平均1パイント(437 ml)となり、とりわけ、牛乳は子供たちの重要な栄養源とみなされるようになった(144ページ)。つまり、19世紀から20世紀にかけて健康によい飲み物としての牛乳の文化的価値が生み出されたために、乳製品産業が興隆したのである。
 しかし、筆者らはこうしたアグリフードシステムが確立されたことによる弊害にも、章の後半でふれている。アメリカで生産される牛乳の場合、社会的コストは技術の悪循環(technology treadmill)という形で主に酪農家に課されている。技術の悪循環とは、農産物の価格が下がると農家は失った収益を取り戻すために高価な機械を購入して収量を増やそうとするが、機械を導入して収量が増えたことによって逆に農産物の供給過剰が起こり、価格がさらに下落してしまう現象のことで(236ページ)、アメリカでも牛乳需要が減退する現在、これは深刻な問題になっているという(146ページ)。しかもこうした社会的なコストは、消費者には目に見えないところで生じている。最後に、アメリカに比べて生産コストの低いニュージーランドの酪農の事例が比較対象として語られ、本書の牛乳への言及は終わる。

<コメント>

 これから「食」について研究していこうとする研究者、あるいは英語圏の最新の成果を知りたい研究者にとって本書は格好の入門書といえよう。各章末に読書案内、議論のための問題提起が書かれているばかりではなく、書籍の末尾にも用語解説がつけられている。また、第6章の牛乳に関する部分についていえば、アメリカでは経済的理由だけではなく文化的価値の創造によって牛乳消費が20世紀に入って拡大したという指摘は興味深い。さらに、このことは日本での牛乳の需要拡大の過程を研究するうえでも大きな示唆を与えるのではないだろうか。本書第6章で紹介されているE. Melanie. DuPuis .2002.Nature's Perfect Food: How Milk Became America's Drink. New York University Press(2016年9月時点では2008年版が購入可能)やAndrea S. Wiley.2014.Cultures of Milk: The Biology and Meaning of Dairy Products in the United States and India. Harvard University Press(本書では論文での紹介だったが、のちに書籍にまとめられたものと思われる)も、日本の牛乳業界にとっては貴重なためいずれ紹介していきたい。(尾崎 智子)

2016年9月26日