2014年
著者:松本友里
所属:
雑誌名・年・巻号頁:①民具マンスリー、2013年7月、46巻4号P1-10 ②民具マンスリー、2014年10月、47巻7号、P1-8

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

 ①②は新聞記事や広告(東京朝日新聞・時事新報・岩手新聞・横浜貿易新聞ほか)から、明治時代の牛乳販売にガラス瓶が導入されるまで(①)、ガラス瓶での販売の普及(②)を追った論考である。
 ①では明治20年代にガラス瓶が登場するまで、様々な販売容器と販売方法があったことが示される。当時はまちなかに搾乳業者がいたことから、現在の牛乳販売とは異なり、店頭での牛乳販売、ひしゃくなどでの量り売りを行っていた。また、搾乳業者が開業の始めや若い牛に入れ替えた時などには牛を引き連れ、直接客の前で乳を搾って配達するということも行われていた。従来、陸軍少将津田出が創設した津田牛乳店(史料上は「津田氏牧場牛乳売り捌き店」)が明治22年に始めたのがガラス瓶での販売の端緒と言われていたが、本論考では浅草の千束町にあった浅草田甫千束町にあった香乳舎(明治21年)がこれに先立ち、また麻布の牛乳搾取所杉田榮という人物が明治19年に杉田榮(明治19年)硝子瓶で販売した可能性があると指摘されている。当時のガラス瓶は、口が細く首が長い瓶で側面には凹凸のエンボス加工で店名などが刻まれているものだった。
 ②明治20年代初めからガラス瓶を使い始めたのは、当時の牛乳店の番付で上位を占め、新聞に広告を出せるような大きな牛乳店だった。その他の販売店の多くは金属製の缶で販売しており、明治30年代から明治時代の終わりにかけて缶から瓶へ容器は変化したとみられる。これにともなって牛乳瓶の製造販売の広告も増えていった。
 

<コメント>

ガラス瓶の導入と普及が丁寧に追われており、牛乳瓶や牛乳瓶製造所の広告(①)、牛乳販売の漫画などが載せられ(②)、当時の世相が垣間見られる。牛乳泥棒や牛乳配達人となった少年や芸妓、牛乳の衛生問題が起こった様子など、今後の研究の糸口となる記事も多い。なお、筆者は2016年4月には「明治時代後期における牛乳殺菌処理の導入と牛乳瓶」(『民具マンスリー』49巻1号)を発表している(尾崎 智子)

2016年6月28日