2013年
著者:渡辺隆夫
所属:元明治乳業株式会社 技術開発研究所長
雑誌名・年・巻号頁:酪農乳業史研究 7号.2013年2月.16−19

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

明治から昭和20年の煉乳事業の進展状況を、企業経営として本格化させた明治グループの房州(千葉県南部)での歴史を中心にまとめた。
明治政府の酪農振興政策を基盤として、市乳そして乳製品の生産流通が徐々に始まった。市乳では近隣で飼育する乳牛から搾乳し、加熱殺菌し消費者に日配配達され、大きな製造設備は必要なく、少額の投資で営業が出来た。が、乳製品部門では生産地から消費地までの流通に耐える保存性ある製品を生産するために、多額の投資を要する生産設備や技術が必須であった。保存性の高いバター、チーズ、煉乳等に着手されたが、バター、チーズは風味上から日本人に受け入れられなかった。煉乳は、日本人の嗜好、加糖による特有なミルク風味がマッチした。濃縮装置・技術は、国内でも試作・開発が行われ、1913年以降急速に増加し、乳業の重要な一角を占めた。
1872年(明治5年)、下総種畜場で井上釜(二重釜)開発。1896年(明治29年)、花島兵右衛門(三島)が真空釜を製作。1916年(大正5年)、練乳製造業者は35社。

<コメント>

明治製糖㈱は1906年(明治39年)、砂糖生産のために台湾に設立した。1917年(大正6年)に菓子生産のため東京菓子㈱を設立、房総煉乳に出資、極東煉乳を吸収し、煉乳部を設立。1924年(大正13年)明治製菓と改称、1940年(昭和15年)に煉乳部門を独立させ、明治乳業を設立した経過が推察される。

書籍ページURL
https://www.j-milk.jp/report/paper/alliance/berohe000000lg1w.html

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2015年9月21日