1989年
著者:斉藤功
所属:1942〜2014年。筑波大学名誉教授
雑誌名・年・巻号頁:古今書院、1989年、全259頁

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

本書は、著名な人文地理学者斉藤功氏の博士論文をまとめたものだ。明治期から1970年にかけての、東京集乳圏=東京で消費される牛乳が集荷される範囲の拡大過程と、それを構成する酪農地域の空間構造を解明した。文献調査とフィールドワークを行った地域は、旧東京市域とその近郊、および神奈川県県央部・埼玉県北西部・群馬県東南部・福島県南部・千葉県安房郡・静岡県田方郡という広大な地域にわたり、調査内容も綿密である。
筆者は調査により、東京集乳圏の拡大を次の6段階に分けている。
(1)明治維新後、士族や士族待遇の牧士、商家などによって、乳牛の飼育・搾乳・牛乳の処理・販売を一貫して行う搾乳業が開始される。牛乳の需要は、上流階級や病人・子供に限られていたため、搾乳業者は市街地の中や場末に立地した。
(2)牝犢・乾涸牛を農家に預ける預託牛制度がはじまり、神奈川県中央部・伊豆半島・房総半島南部・伊豆七島等牛を預託地域での、煉乳業勃興の契機となった。
(3)飲用牛乳の需要増大と1933(昭和8)年の牛乳営業取締規則改正にともない、東京集乳圏の生産・流通構造に一大変化が生じた。東京市内には、改正規則によって低温殺菌用にミルクプラントをつくることとなり、製菓資本がミルクプラントをつくり、かつての乳牛預託地域や煉乳生産地域で生産された牛乳を東京に移出するようになった。
(4)戦時体制確立によって牛乳産業も統制されることとなり、飲用乳も統制下に入った。市内のミルクプラントが企業合同することになった結果、明治・森永乳業の戦後の支配的地位が確立する一方、市内の搾乳業者で(3)の時期にミルクプラントになった業者の多くは牛乳販売店となった。
(5)戦後、農地改革によって自作農化した農民の中で酪農への意欲が増大するとともに、協同組合法施行をうけて各地に酪農業協同組合が組織され、のちの広範な酪農の発展につながった。戦後の統制解除とともにそれぞれの乳業会社は牛乳供給事業を再開し、大手乳業会社はかつての搾乳業系譜のミルクプラントを系列化し、牛乳販売店とした。
(6)北海道の原料乳を基盤に発展した、雪印乳業が東京の飲用乳供給に進出した。経済復興にともなって飲用乳と乳製品の需要は急速に拡大し、乳業会社は競って原料基盤である酪農地域を確保しようと努めたことで、東京集乳圏は拡大し、乳業会社による集乳圏が再編された。

<コメント>

本書は、所蔵する公共図書館が少ないため(公共図書館での所蔵は東京都立図書館のみ。大学図書館では全国71館が所蔵)、手に入りにくいという難点がある。しかしながら、東京で消費される牛乳の流通過程を研究する者は、本書の綿密な分析手法と成果のみならず、戦前の現状分析や1970年代までの海外の先行研究も厳選して紹介しているために、すべからく目を通すべき先行研究といえる。

書籍ページURL
 https://www.j-milk.jp/report/paper/alliance/berohe000000lg1w.html

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2015年9月21日