チーズと文明 [原書:Paul S. Kindstedt: Cheese and Culture: A History of Cheese and Its Place in Western Civilization; Chelsea Green Publishing.2012: 272p ]
2013年
著者:ポール・キンステッド著 和田佐規子訳
所属:
雑誌名・年・巻号頁:築地書館.2013:343p ポール・キンステッド著 和田佐規子訳
<要約>
酪農・チーズ製造の起源から現代のチーズ事情までをひも解く食文化史。ヴァーモント大学食物栄養学部で教鞭をとるポール・キンステッドが、自身の講義をベースに書き下ろした良書である。神々への献上品とされたチーズ、ギリシャ時代のチーズレシピ、ローマ時代に特産品となったチーズ、品質管理を初めて重視した農学者コルメラのチーズ、イギリスで発達した「加熱のいらない」大型圧搾チーズ、オランダ帝国主義時代の「高度に専門化した」チーズ、多様化するチーズの品種(エダム、チェシャー、ゴーダ、モッツアレラなど)、開拓時代にアメリカに渡ったチーズ、大型チーズ工場の建設ラッシュ、問題視された病原菌リステリア菌など、古代から現代に至るあらゆる国々のチーズの歴史が集約されている。特にイギリスにおけるチーズ製造が、長い間女性たちの手に委ねられてきたというキンステッドの見解は興味深い。11世紀頃のイギリスに、アングロサクソンの荘園で働き、チーズの製造・保管を任された「乳搾り女」(デアリーウーマン)という女性たちがいた。彼女たちの仕事は、家畜の乳搾りやチーズ作りを手伝う見習いたちの監督であり、その長に当たる者は、チーズ製造に関するあらゆるノウハウを熟知することも求められた。しかし、15~17世紀における「荘園領地」の「発展的解消」のなかで、「乳搾り女」たちの立ち位置にも変化が起こる。この頃の状況を、キンステッドは「ヘンリー八世が在位中の一五三六年、イングランドの修道院の解散を始めると、修道院の荘園でのチーズ作りは突然終焉を迎える。財政難の政府が資金集めの目的で修道院の荘園を入札で売りに出したのである。しかし、荘園のチーズ作りの知識が消えてしまうことはなかった。貴族や修道院の荘園で働いていた多くのチーズ職人たち(乳搾り女)は、財産を蓄え、土地や家畜を集めて、のし上がってきていたヨーマン階級にすぐ雇われた。ヨーマン階級は拡大するチーズとバターの都市市場に参入することを狙っていたのである…(中略)…こうして荘園領地のチーズ作りの知識は乳搾り女たちを通じて、ヨーマン農民の手にわたったのである」と説明する。さらに18世紀以降には、「女性の王国だったチーズ製造の世界」が、「高等教育を受けた」イギリスの紳士たちによって、新局面を迎えることとなる。彼らは、「ヨーマン農場でのチーズ製造の工程」をあらゆる面から分析した研究論文を発表。「自然科学の知識を応用」し、「科学的原理を用いて製造を体系化しようとした」男性学者たちのチーズ「レシピ」標準化の動きが顕著となった。これにより、かつては乳搾り女だけが所有し、母から娘へ、女主人から召し使いへと伝授された「「秘密知恵」の管理人というポジション」から、乳搾り女たちははじかれ、「チーズ製造の技術的な知識が男性支配のパブリックな領域に流出する」きっかけともなってしまう。しかし、チーズや乳製品製造への女性たちの貢献は、イギリスにかぎったことではなく、開拓時代のアメリカでも、その傾向はみえているという。特にチーズ製造に力を入れている地域で、女性奴隷の割合が高く、キンステッドは、詳細な歴史的資料からの検証は今後の課題であると結びながらも、女性たちによる乳製品製造への歴史的貢献を評価している。
<コメント>
各国におけるチーズと人の関わりが理解でき、チーズの歴史を総合的に味わえる良書。定番食品の裏側にみる担い手の系譜もまた食文化学の面白さと言えよう。
書籍ページURL https://www.j-milk.jp/report/paper/alliance/berohe000000j5tk.html
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