2017年
著者:畑中 三応子
所属:
発行・年・巻号頁:春秋社、2017年、全296頁

  • 社会文化
  • 歴史

<書評>

 著者は、長年食に携わり、『暮しの設計』編集長として食に関わる情報を発信してきた。こうした経験から著者は「私たちはものを食べるとき、一緒に頭でその食べ物がまとった情報を食べている」と述べる(「はじめに」)。本書では、明治時代のスローガン「富国強兵と脱亜入欧」と結びつき「健康・健脳イデオロギー」の下「超人的な効力をもたらす」と考えられた「カリスマフード」が取り上げられている。そして幕末開港以降の「カリスマフード」である肉・乳に1・2章で焦点をあてる。そして、日本人が開港以前から強い思いを持っていた「米」(特に白米)については3章で言及する。
 本書各章は、ジビエ、「牛乳が体に悪い」という言説、炭水化物ダイエットといった近年身近な話題から始まる。そのため読者は、明治維新を起点として発展してきた食の歴史へと自然に誘われるだろう。「第2章 乳」についていえば、現在「牛乳は体に悪い」と一部で言われ、戦後LARA物資*はアメリカの陰謀だったとされるむきもあるが、そもそも牛乳の効用を広めようとしたのは幕末の蘭方医だった。乳幼児死亡率が高く、成人身長も低かった当時、日本人に牛乳飲用が必要だという蘭方医の主張は、明治維新政府に引き継がれた。たとえば、将軍とその家族を診療していた奥医師松本良順は、明治維新後、義理の叔父阪川当晴に最初の牛乳屋を開かせた。阪川とは別に、牛乳によって発疹チフスから全快したのち、福沢諭吉も牛乳の効用を熱心に説きはじめた。その後、牛乳が子供の成長に良いという宣伝は広まり、第二次世界大戦後ついに牛乳は「完全栄養食品」の地位を獲得する。ところで今日、私たち日本人の大部分はヨーグルトが腸内環境を整えることを知っている。だが、意外なことに100年前の日本人も同じことを知っていた。それはノーベル生理学・医学賞を受賞したイリヤ・メチコフ著『老化、長寿、自然死に関する楽観主義者のエチュード』が1912(大正元)年に翻訳出版され、話題になったためだったという。
 このヨーグルトの事例にみられるように本書は、乳にまつわるエピソードを、歴史上と現在の出来事を重ね合わせて描いていく。たしかに統計上は高度経済成長期以前の、肉と乳の消費量は、今からは驚くほど少ない。しかし、定量的には測れない時代の空気—新しいものを食べたい、健康になりたいという潜在意識—が、食の情報を得て人々が「カリスマフード」を求めることで醸成されるという本書の視点は興味深い。そして、今後乳の消費を増やしたい人々には、統計分析に頼るのみではなく人々の潜在意識に訴えかける情報を発信すべきという示唆も与えるだろう。
評者が、一点気になるのは、本書の帯に書かれている「食はときどき、政治よりも政治的」である。「政治的」というのは①肉・乳が「富国強兵と脱亜入欧というスローガン」と結びつき、②乳幼児死亡率の高さを下げる必要が乳に託された、③現在の牛乳不要論との争い、全てを示すと評者は読んだ。だが②③は社会問題であって一般的には政治問題ではない。また①も明治維新政府や陸軍が関わったことのみで「政治的」であるとはいわないのが現代の政治史の共通認識であろう。たとえば政府や陸軍と乳業がどのように関わったのか、が問われるべき政治問題である。したがって、政治と食の問題は今後研究としてはさらに深めていく課題だと考えられる(尾崎智子)
 
* LARAはLicensed Agencies for Relief in Asiaの略。これはアメリカでつくられた日本向け援助団体で、第二次世界大戦終戦後、粉ミルクを含む食糧や医薬品を日本へ送付した。

2018年10月17日