2017年
著者:長命 洋佑
所属:九州大学大学院農学研究院・助教
発行・年・巻号頁:養賢堂、2017年、全209頁

  • 社会文化
  • 酪農経済・経営

<書評>

 市場経済の深化に伴い、中国農業は、農村部と都市部との所得格差拡大といった経済問題や、砂漠化・草原減少といった環境問題に直面し、持続的な農業生産に懸念が生じてきた。経済問題に対しては企業的農業や垂直統合を推進する「農業産業化」政策、環境問題に対しては農業・牧畜業の粗放化・転換を行う「退耕還林・還草」政策、牧畜民を別地域に移住させる「生態移民」政策などが実施されてきた。
 本書の目的は、中国内モンゴル地域を対象に、上記の経済・環境政策の実施を踏まえて、経済発展と環境保全を両立させる形態での酪農の持続的発展に資する方策を検討することである。本書は、序章・終章を含む10章構成である。
 第1章では中国全体・内モンゴルにおける酪農生産の動向が整理された。依然として小規模経営が主要な生産主体である一方、近年における大規模なメガファームの出現が指摘されている。第2章では、一連の経済・環境政策の展開が整理され、一定の政策効果が見られるものの、農業生産や地域社会の衰退など新たな問題が生じているとした。
 第3章と第4章では、2000年と2007年の時点を比較して農業生産構造の変化と農牧民所得の規定要因がパス解析により分析された。第3章は内モンゴル全体、第4章は内モンゴルの牧畜業主体、ならびに牧畜業と農業が併存する地域を分析対象とした。第4章の結論を述べると、所得増加の一方での格差拡大、経済性の高い穀物や家畜への移行、農業生産構造の複雑化である。所得については、政策による補助金や出稼ぎなど農業以外の要因による影響が大きくなっていると指摘した。
 第5章と第6章は、「生態移民」政策により移民村へ移住してきた酪農家に対するアンケート調査(第5章)、聞き取り調査(第6章)による移住後の経営実態を検証した。飼養管理・飼料給与技術の格差による所得格差の発生が確認され、移民村の存続には、村内の共有地を利用した飼料生産、搾乳ステーションの継続的稼働、経営多角化の必要性が述べられている。
 第7章は、酪農家と乳業メーカーとの契約を通じた「私企業リンケージ(PEL)型酪農」の都市近郊における展開と、メーカーと酪農家との間の生乳生産とリスク管理の分担関係を分析した。課題として、酪農家の乳質向上を促す乳価制度への修正、当該地域に見合った飼料生産・調製技術の確立、政策による飼養頭数制限下での家畜改良の重要性が挙げられている。
 第8章は、牛乳乳製品の安全性に関する消費者意識を大学生等を事例として検討し、牛乳消費に対する不信感の高さ、購入時における「製造年月日・消費期限」「健康」の重視、幼少期から牛乳を消費する・認証表示を重視する学生で消費頻度が高いことを明らかにした。
 本書の結論として、酪農生産では乳牛の生産性向上と良質な飼料生産の確保、環境問題では家畜糞尿による土壌・水質汚染への対応、ならびに伝統的な家畜飼養の再評価と就業機会の拡大・改善を通じた環境保全政策の改良が述べられている。
 中国では酪農生産が急速に拡大し、世界でも有数の酪農大国となっている。また、消費市場の大きさもあって有数の乳製品輸入国であり、中国国内の酪農生産の動向は世界市場にも大きなインパクトを有するに至っている。農業経済学の立場から中国酪農を扱った書籍は少なくはないが、本書は中国最大の酪農産地である内モンゴル自治区の酪農生産の構造変動から乳業メーカとの生乳取引・契約関係、酪農に関する経済・環境政策、そして牛乳乳製品消費の性格まで、酪農に関わるフードシステムを全体的に俯瞰した最新の知見と言えよう。
 とりわけ興味深いのが、第5章・第6章・第7章で分析されている酪農家と乳業メーカーとの多様な関係性である。中国酪農は乳業メーカー主導の垂直的統合の下、急速に生乳生産量を拡大する一方、2008年に発覚した「メラミン事件」を契機とした垂直的統合の形態変化とそれによる酪農生産の構造的変化がドラスティックに進行している。中国酪農は、耕種農業などとの複合経営を行う零細生乳生産者が生産の大部分を担っているため、乳業メーカーとしては生乳の量的確保に加えて、乳質向上と生乳調達コストの低減が課題である。乳業メーカーはこういった課題に対して、酪農団地設置や農民専業合作社を通じた零細生産者の組織化と、直営農場を始めとするメガファームとの契約取引という2つの方向で対応していると言える。また、企業統合による乳業メーカーの巨大化を受けた集乳量の拡大によって、メガファームをさらに合作社などへ組織化する動きも見られている。
 日本では、2018年4月から改正畜安法にもとづく新たな生乳流通制度がスタートする。従来は、基本的に指定生乳生産者団体が介在することで、乳業メーカーと酪農家との垂直的な関係性は分断されてきた。しかし、今後は多様な関係性が生じていく可能性もある。具体的には、乳業メーカーによる酪農経営への関与が増していくと思われるが、その際の選択肢や予想される効果を考える場合に中国酪農の実態把握は大いに有益であり、本書はその一助となるだろう。(清水池義治)

2018年10月17日