幕末から明治初期の横浜における生乳飲用とアイスクリーム摂取の日本人への伝播 [The spread of the milk drinking and ice cream eating customs of Western foreigners in Yokohama to the Japanese during the last period of the Tokugawa regime and the beginning of the meiji period ]
2013年
著者:足立 達
所属:東北大学名誉教授
雑誌名・年・巻号頁:酪農乳業史7号.2013年2月.pp20-27
<要約>
本報では、幕末から明治初期にかけて横浜居留地域での飲用乳やアイスクリーム技術の習得過程について述べる。1859年、開港後の横浜へ1200名余の西洋人が住み始めた。酪農場や食肉処理場の建設が始まった。1860年にインドネシアから横浜へ移り住んだプロシア人、ヘンリーとエドワルドのシャネル兄弟が、1861年~1863年に酪農場建設に係わった。前田留吉は、シャネル農場で搾乳技術を習得した。明治政府より、乳処理技術の指導者として東京に招聘され、酪農場の指導を行った。日本独特のアイスクリーム製造技術は、ワシントンで学んできた出島松蔵が伝えた。最初のアイスクリーム製造は1869年に横浜で、町田房造が1868年に出島松造より技術を学びアイスクリームを市販した。技術習得過程と公衆衛生についても記述されている。
キーワード:生乳飲用、生クリーム、前田留吉、出島松造、町田房造
キーワード:生乳飲用、生クリーム、前田留吉、出島松造、町田房造
<コメント>
横浜の外国人居留地で、飲用牛乳やアイスクリーム調整技術等の習得までの経過状況がのべられている。
書籍ページURL
https://www.j-milk.jp/report/paper/alliance/berohe000000j5tk.html
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