2009年
著者:加瀬和俊
所属:東京大学社会科学研究所
雑誌名・年・巻号頁:東京大学社会科学研究所、2009年2月、p85〜102

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

 本論文は、昭和初期におこった大都市への牛乳供給の一大変化に絞って、検討した論考である。様々な通史や社史でふれられている通り、同時期の大都市では警視庁及び内務省の規制強化に伴って、飲用乳の供給体制には一大構造変化が生じた。すなわち、それ以前は、第一に都市及びその近郊地域にいる小規模搾乳業者によって生産された生乳は飲用として消費され、第二に都市から離れた農村地帯にいる酪農家によって生産された生乳は煉乳の原料になるなど、明確に2つに流通経路が分かれていた。だが、昭和初期に入ると、煉乳大企業は飲用乳部門へ参入し、都市部の飲用乳は煉乳業者が持つ大規模ミルク・プラントが供給の相当部分を担うようになった。これに伴い、酪農家によって生産された生乳は、煉乳原料から飲用乳供給へと販路を拡大したのである。
従来、この構造変化は、飲用乳の衛生水準を向上させようとした衛生行政による規制を契機としていることはたびたび言及されてきた。本論文は、衛生行政の中でも、東京府を管轄する警視庁は牛乳生産・流通の全行程を統制の対象とする一方、全国的に衛生行政を進めた内務省は殺菌・瓶詰過程に限定して統制しかつ商品となった段階での質の監視に集中するなど、東京とそれ以外で規制の方針が異なっていたことに注目している。この結果、東京では搾乳業者が締め付けられ質量ともに圧縮される一方で、その他の消費地では搾乳業者の勢力を温存するという、東京とそれ以外の地域での差が生まれた。たとえば東京では、1870年に創業した阪川牛乳店の場合、1924年関東大震災の損害に加えて、警視庁の摘発の主対象とされてしまったため、当該期には外部資本との提携や隣接した地域からの原料調達などを模索しながらも経営的には停滞し、戦時統制期を迎えることとなる。

<コメント>

 本論文は、昭和初期を検討の対象としているものの戦前期の飲用乳と煉乳の消費量比較、牛乳の生産量・単価を表で一覧できる点、また阪川牛乳営業報告書、乳牛タイムスなど出典が詳細に示してある点も今後の研究にとって有用と思われる。

書籍ページURL
https://www.j-milk.jp/report/paper/alliance/berohe000000j5tk.html

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2015年9月21日