2014年
著者:矢澤好幸
所属:日本酪農乳業史研究会
雑誌名・年・巻号頁:平成25年度乳の社会文化学術研究・研究報告書、2014年9月、p 56−78

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

本稿は、明治期の東京でおこった乳業の発展を、揺籃期、勃興期、発展期の3つに分けてまとめた報告書である。
まず、明治維新(1867年)~明治13(1880)年頃の「揺籃期」には、明治政府のヨーロッパ流農法(泰西農法)導入と士族授産政策に応じ、東京市内で搾乳業が勃興した。都市部で牛を飼い搾乳して販売する搾乳業は、小資本で営業可能かつ日銭商売であるため士族授産の中では当たり業の一つと言われ、旧士族や政府高官が競って参入したのである。外国から乳牛を購入して営業を始めた搾乳業者は、内務省に働きかけて乳牛の改良や酪農乳業の諸組織を構築し、新聞や学術書によって牛乳の効用をPRした。たとえば明治4(1871)年5月に、木戸孝允らが発刊した『新聞雑誌』上には牧畜業案内が掲載されたほか、牛乳の栄養的意義や飲用に関する宣伝も載っている。この時期には牛乳飲用の習慣が普及しておらず、牛乳を忌避するむきもあったので、広告を通じて牛乳の啓蒙普及が図られた。
次に、明治14(1881)~32(1899)年の「勃興期」には、東京市内でも都心4区(麹町・神田・日本橋・京橋各区)にあった搾乳業が、周辺11区(芝・麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川・本郷・下谷・浅草・本所・深川各区)に移転した。一方、飼養をせず販売に特化した請売・販売店が明治25(1892)年頃を境に都心4区に増加し、搾乳業が飼養と販売とに機能分離し始めた。明治19(1886)年に開催された東京乳牛共進会は、東京の搾乳業者が団結して乳牛を競い、新しい乳業技術を紹介するなど技術向上が図られた。
最後に、明治34~44(1911)年の「発展期」になると、牛乳営業取締規則(明治33、1900年)発令に伴って搾乳業者は東京市内から郡部へ移転、主に中仙道・甲州街道沿いに移行した。東京市内ではもともと乳牛の中でもホルスタイン種の輸入頭数が多かったが、生産効率の高いホルスタイン種に飼養がさらに集中していった。また、牛乳需要増大もあって搾乳業は家業から企業へと発展、そして、乳牛を飼育する搾乳業、牛乳の殺菌と壜詰業、さらに牛乳の請売と販売業に分化した。さらに、筆者は牛乳営業取締規則に抵触しないにもかかわらず、搾乳業者が独自に牛乳の殺菌法を導入する、ガラス壜の配達器具の改善を行うなどした理由を今後著者は探求したいと考えているという。

<コメント>

本研究は、文献調査の上、東京市内の搾乳業者(文中では搾取業)・乳牛輸入状況・牛乳の宣伝の3つの動向を組み合わせている点に特徴があり、また搾乳業者の相関図(系譜)を明らかにした意義がある。明治初期に創業しその後、長く東京市乳業界をけん引した搾乳業者にはそれぞれ縁戚関係があり、松本良順(初代軍医総監で公衆衛生の啓蒙にも努めた)や赤松則良(幕末にオランダ留学をし、沼津兵学校で牛乳知識を語る)の感化を受けたと指摘している。

書籍ページURL
http://www.j-milk.jp/tool/kenkyu/berohe000000lg1w.html

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2015年9月21日