1979年
著者:山口博(写真家)
所属:
弘告社、1979年、全152頁

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

本書は、北海道北斗市(旧・上磯町当別)にあるトラピスト修道院の生活史が織り込まれた写真集である。収録された102枚の写真のなかには、バター乳酸菌の培養(1970)、クッキー工場(1973)、バター工場(1974)、バター飴工場(1977)、修道院のパン(1978)など、修道院での乳製品製造の様子がわかるものも含まれている。トラピスト修道院の設立は、明治29年(1896)に遡ることが出来る。フランスから来日した修道士D.ジュラール・プゥイエ(後に帰化し、岡田普理衛と命名)が創立修道院長に着任し、欧米から来日した司祭や助祭たちと土地の開墾に乗り出したのが、その起こりである。しかし当時の当別は、荒野そのもの。修道士たちは、一つ一つの石をモッコ(縄で編んだ網袋のようなもの)で担ぎ出し、農地開拓、植林、牧畜に着手した。また『上磯郡茂別村(村製一斑)』によれば、明治35年(1902)に、シベリア鉄道経由でオランダよりホルスタイン種五頭が到着し、翌年「初メテ乳製品ノ製造ヲ開始」と確認できる。酪農の成功は、コンデンスクリーム、スキムミルク、チーズの製造へと拡大し、トラピストの名は、朝鮮、上海にまで轟いたともいう。大正2年(1913)には、パンフレット『トラピスト修道院牧場の一班』が発行され、修道院の酪農経営、諸施設、牛酪生産販売高、畜牛の生産頭数などが公開された。特に大正から昭和にかけて誕生した道南の搾乳所、牧場、農場の詳細からは、トラピスト寺院と地域の関係性も浮かび上がる。しかし、なじみのない乳製品への抵抗は大きく、製酪工場の経営は決して芳しいものではなかった。実際当時を知る証言にも、「バターやチーズなど作ってもあんまり日本人食わなかった時代で、その頃神戸や横浜東京方面の外人のお客さんに送って、買ってもらったようだが、あまってあまって仕方ねから二斗樽に詰めで、丸山の川にならべて保存したもんだ。まあ今なら冷蔵庫ぐらいどこさ行ってもある時代と違って、院長先生苦労したさ、大正時代の初期(大正三年と思われる)の世界大戦の時はトラピスト無くなると言われたものだ」とある(中村1995)。そして戦後を迎え、実生活でのバターやチーズなどの乳製品の定着に伴い、トラピスト修道院でもバターのみならず、クッキーやバター飴などの製造が開始され、ようやく北海道銘菓として広く認知されるようになった。とはいえ、トラピスト寺院が歩んだ歴史は、想像を絶する苦労の連続であったことも事実。果敢に自然と向き合った修道士たちの営みの系譜を、本書はそっと教えてくれるのである。

<コメント>

2014年夏、当別のトラピスト修道院を初めて訪れた。静かに夏の風を感じながら歩いたポプラ並木は、今でも記憶によみがえる。酪農導入草創期の乳製品づくりの諸相を伝えてくれる本書は、道南酪農の近現代史を物語る貴重な写真資料集としても評価できよう。(東四柳祥子)
 

<参照>

中村正勝『岡田普理衛師物語』岡田普理衛師物語出版会(1995)

2017年6月21日