2014年
著者:佐藤奨平
所属:財団法人農政調査委員会研究員
雑誌名・年・巻号頁:平成25年度乳の社会文化学術研究 研究報告書、2014年9月、p31−55

  • 社会文化
  • 歴史

<要約>

戦前日本の乳製品生産の中では、明治初年以来、練乳生産が突出して高い。練乳市場は当初輸入品に席巻されていたものの、徐々に輸入を防遏し、1916年には国内生産量が輸入品を凌駕する(中瀬信三「日本の酪農乳業を奨励した政策 明治維新から終戦まで」『酪農乳業史研究』2号、2009年8月)。本研究はこの練乳生産において重要な地位を占めた千葉県安房地域を検討した。
複数の史資料の対比・分析に加え現地調査をもふまえて、日本酪農発祥之地である嶺岡牧とその周辺地域を中心に生成・発展をみた練乳製造業の経営史的解明をしている。
安房地域における練乳製造業の端緒は、1893(明治26)年に根岸新三郎が大山村に創業した安房練乳所である。その後多くの練乳製造業が乱立し、明治・大正期を通じて小資本経営による約40の練乳製造業がこの地域で創業した。千葉県統計書によれば1899(明治32)年の段階では製造戸数19、職工37、16万ポンド以上の製造高をあげており、この間、平鍋から井上釜への移行、さらに真空釜の導入がみられるなど生産設備が整いつつあった。ただしこれらの起業が全て順調に発展したわけではない。1907(明治40)年には製造戸数は5、職工13となり製造高も10万7840ポンドにまで低下しており、8年のうちに激しい市場競争や粗悪品販売等によって経営不振に陥り廃業した企業もあとをたたなかった。だが、性状を向上させ独自の印をつけてブランド化を図り、新販路開拓を試みるなど生き残りをかけてビジネス展開を図った企業もみられる。
1916(大正5)年大山村の竹沢太一が、この地域の製乳業界の不振が資本の過少にあるとみて大山村磯貝煉乳所を買収して房総煉乳株式会社を興し、大製乳企業設立を目指した。明治製糖株式会社の出資を受けて、房総煉乳株式会社は嶺岡を中心とした北部の長狭地区、南部の平南地区の数か所の業績不振な企業を買収した。一方、森永製菓株式会社は1917(大正6)年吉尾村の愛国煉乳合資会社を買収し、日本煉乳株式会社を設立した。これは森永ミルクキャラメルの原料用練乳の自給を講じるためで、当社が練乳の輸入依存構造から脱却し、国内生産体制を強化することにつながった。
1919年の農商務省農務局調査では、当該期には千葉県の練乳生産量は全国一位で、全国生産の41%以上もの生産を占めていた。また、他の地域では練乳製造業の大半が個人経営の域にとどまり、株式会社・組合・合資会社・財団法人・県種畜場という多様な形態の経営組織によって練乳の製造販売が行われていたのだが、千葉県安房地域ではいちはやく中小企業が統合して株式会社に再編成され、地域全体として日本の酪農乳業の近代化・規模拡大を支えた。

<コメント>

千葉県安房地域では、明治維新以前の嶺岡牧の伝統に加えて(明治維新以前の嶺岡牧の重要性については同じ報告書の中の日暮晃一ほか「『日本酪農之発祥地』における製乳事業創業期の酪農・製乳実態に関するフードシステム考古学的アプローチ」平成25年度乳の社会文化学術研究 研究報告書を参照)、明治維新以後の東京搾乳業者からの預託牛制度(後述する斉藤功『東京集乳圏』古今書院、1989年参照)を契機に、煉乳業が発達した。本研究では現在には引き継がれていない同地の企業をあげて、その盛衰を記録している点で貴重だろう。

書籍ページURL
http://www.j-milk.jp/tool/kenkyu/berohe000000lg1w.html

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2015年9月21日