2018年
著者:二文字屋 脩
所属:早稲田大学

  • 社会文化
  • 文化人類

Ⅰ 問題の所在

 乳利用が盛んな牧畜民とは大きく異なり、狩猟採集民では乳利用は極めて稀である。もっとも、「搾乳することを発明し、乳を利用することによって、ヒトは家畜に生活の多くを依存するようになり、牧畜という新しい生業が始まった」[梅棹 1976]という梅棹の主張に従えば、搾乳も乳利用もないことが、狩猟採集民が狩猟採集民たる所以なのだと言えよう。だが乳利用に対する知識や技術がなくとも、狩猟で得た野生動物の乳を採取・利用することは不可能なことではないし、狩猟採集民が農耕民や牧畜民とのあいだに多様な関係を築いてきたという歴史的事実を踏まえれば、他民族が産出した乳類を利用することも可能であったはずである。しかし実際には狩猟採集民のあいだで乳利用がほとんど認められないために、以上の問いを追求する先行研究はなかなかない。
 他方、同時代に生きる狩猟採集民の多くが国家や市場と接合し、外部世界との関わりをますます深めているなか、乳利用や乳製品の受容と消費がみられるようになっている。例えば開発による社会文化変容を経験したマレーシアの狩猟採集民ラノーでは、町で購入する品目にコンデンスミルクが入るようになったという[Dallos 2011]。また、アフリカ南部の狩猟採集民サンでは、1980年代以降に国家政策により定住化が以前から一部のあいだで食肉用や交換・売買用としてヤギが飼育されていたが、現在は紅茶用のミルクとして利用されている[池谷 2002]。このように、狩猟採集民のあいだで乳類は着実に浸透し、また利用においても多様化がみられるようなってきた。
 しかし乳類の受容が積極的な利用と消費に結びつくわけでは必ずしもない。そのような例として、本稿が対象とするタイ北部で唯一の狩猟採集民ムラブリがいる。彼らは1980 年代から開発の対象となり、大きな社会文化変容を経験してきた。その過程で、乳製品が人々の生活に浸透し、現在では生活のごく一部で消費されている。だが先行研究が希薄であるため、伝統的な生活において乳類を利用してきたのかという素朴な疑問のみならず、近年みる乳製品の受容過程と消費実態についても不明なところが多い。これらの疑問に答えることは、狩猟採集民にとって「未知なる飲食物」の代表格の一つである乳類がどのようにして人々のあいだで受容または消費されていくのかという問いに答えるだけでなく、今後生まれてくる新しい世代の発育発達を考えていく上でも重要な足掛かりとなるだろう。
※平成30年度「乳の社会文化」学術研究

2021年1月6日